台林寺について

台林寺について

当寺は、山号を報恩山と称し、寺名を台林寺と申します。創建は元和年間(1620年頃)、信祐法印による開山と伝えられております。

台林寺本尊は、阿弥陀如来です。大乗仏教の如来の一つ、梵名「アミターバ」といい「阿弥陀」と音写します。阿弥陀如来は、無限の光を持つもの、無量の寿命をもつものを意味します。漢訳して「無量光仏」「無量寿仏」ともいいます。無明の現世をあまねく照らす光の仏にして空間と時間の制約を受けない仏であることをしめし、西方にある極楽浄土という仏国土をもちます。
当寺はこの阿弥陀如来を中尊とし、左右に観世音菩薩・勢至菩薩を脇侍とした三尊形式をとっております。

〈周辺について〉
当寺から約300m東に国史跡指定の摩利支天古墳があります。この墳丘には摩利支天尊が祀られていますが、当寺はここも所管しております。

 
(中央)台林寺本尊阿弥陀如来像
(左右)脇侍の観世音菩薩・勢至菩薩像

九津見定利の墓

思川の流れを西に望む同寺のある小山市飯塚地区は、日光社参の将軍や例幣使の復路として利用された壬生街道(日光西街道、お成り街道)がはしり、江戸時代には交通の要所として栄えました。

 

承応元年(1652年)、小山宿と壬生宿間の距離が長く人馬の継立が困難だった為、壬生藩家老の九津見定利が飯塚新田の建設に乗出し、翌承応二年には伝馬宿に指定されました。
また定利は、思川沿岸の飯塚河岸建設にも当たり、後にここは壬生藩御用河岸となりました。

当寺にはこの九津見定利の墓がありお祀りしております。

幕末の住職

慶応四年(1868年)の戌辰戦争時、同寺の住職・宇都宮広亮は、日光山内に逃れていた幕軍を説得して会津方面へ落ち延びさせました。それにより日光は戦火から救われたといわれています。

山門の枝垂桜

山門の樹齢100年になる枝垂桜は「小山桜百選」に選ばれ、
皆さま方に親しまれております。
 

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